「ダイアローグ・ギルティ」 そのG


第四章

 月が見える。真っ白な月だ。下にはネオンが広がっているというのに、はっきりと見える。
 私は缶コーヒーを片手に、夜空を見上げている。髪を撫でる風が心地よかった。
 ここはとあるビルの屋上だ。何のビルかは知らない。街を適当に徘徊して、月が良く見えそうな所を探している内にここに辿り着いた。このビルの屋上は何も無くていい。ここだと落ち着ける。ゴチャゴチャ物があると、心までゴチャゴチャするような気がして、気持ちが悪い。
「‥‥」
 下を覗くと、無数の車のテールランプが連なって見えた。そう言えばここ最近、車に乗っていない。真一の運転する車の助手席が私の定位置だったから、自分が運転するという事は無かった。
 私は着ているジャンバーの胸ポケットから煙草を取り出すと火をつけた。
「‥‥」
 ずっと高瀬の言った言葉が気になっていた。高瀬は私が生き残る事を願っていた。それは何故なのだろう。
「‥‥もっと教えてよ」
 彼は他にも何も語ってくれなかった。でも、あの時してくれた口付けの感触だけははっきりと覚えている。
 これからどうしようか。そんな事を考える。私はこれからもあのゲームに出続けた方がいいのだろうか。それとも、高瀬に応えて、生きた方がいいのか。でも、今更他の男の為に生きるなんて‥‥。
 堂堂巡りだった。いつまでもその答えは出ない。あの人の為に死ぬと決意して、もう三回もゲームに出た。今更戻る事なんて出来ないと思う。高瀬と二人で恋人のように暮らす? そんな事、想像も出来ない。
 だって想像してしまったら、あの人を裏切ってしまうような気がするから。
「‥‥」
 昔の事を思い出す。今まで戦ってきた人間達の顔を思い出す。泣いた顔、笑った顔、怒った顔、無表情な顔。そんな顔の向こうに真一(しんいち)の顔が浮かんでくる。思い出す真一の顔はいつも笑っていた。
 その顔は初めて出会った時となんら変わりの無い、でも、それ以上に素敵な顔を真一はした事がなかった。



 私が真一と出会ったのは、今から二年前。出会ったのは電車の中だった。当時、大学生だった私は卒業論文の制作の為、夜遅くまで大学に残っていて、電車に乗った時間は夜の十一時。その電車が最終電車だった。
 私は一番後部の車両に乗っていたが、その車両には、私と私と同い年くらいの男の二人しか乗っていなかった。男は私の向かいに座っていた。
 決して美形というわけでもなく、黙っていれば存在すら忘れてしまいそうな程影が薄い。それが彼の第一印象だった。髪型も普通で、別段特徴が無い。強いて言うなら、特徴が無いのが特徴だった。
 男は缶コーヒーを片手に何か本を読んでいた。規則正しいガタンゴトンという音を聞きながら、私は窓から見える暗闇とその男を交互に見ていた。
 その時、電車が一瞬揺れて、男の手から缶コーヒーが落ちた。中身は空だったらしく、床に落ちるとカラカラと転がり、私の履いていた靴に当たって止まった。
「ああっ、すいません」
 男は慌てて立ち上がり、私に近づいた。その時また電車が揺れて、男は私の前で跪いた。その拍子に本が落ちて表紙が見えた。
「本当にすいません」
 男が缶を取るのと同時に、私はその本を取った。私も読んだ事のある本だった。
「この本、読んでるんですか?」
 私がそう訊ねると、男は弱々しく笑って頭をかいた。
「友人が面白いって言うんで、借りたんですよ」
「面白いですか?」
「ええっ。主人公の気持ちが素直に書かれてあって読みやすいですし」
 男は私の前で跪いたまま、苦笑いを漏らした。
 それが真一だった。
 その時は携帯の番号も聞かず、すぐに別れてしまったが、それから私と真一は同じ時間、同じ場所で会うようになった。約束をしたわけでもなく、ましてその時は彼に気があったわけでもなかった。ただ何となく、一人で虚しく帰るなら話し相手がいた方がいいかな、と思っただけだった。
 彼もそう思っていたかは分からない。真一はあまり自分の事は話さないタイプだった。だけど、彼もいつもその時間、その場所に来た。
「働いているんですか?」
「ああっ」
「何の仕事を?」
「勧められるような仕事じゃないよ」
「いいじゃないですか、何でも。もしかしてアダルトビデオを作ってるとか?」
「まさか。普通の事務さ」
 毎日十数分間、私と真一は他愛の会話をした。
「僕より一つ年下なの?」
「そうです。だから敬語なんですよ。今は大学生で卒論が忙しくて。でも、来年には社会人。留年しなければ、の話ですけど」
「何の仕事を?」
「あなたと同じ。事務です。だけど、大した大学じゃないから、お茶汲み」
「大変だよ。お茶汲みでも。湯加減とか、味の濃さとか」
「まるでやった事があるみたいな言い方ですね」
「あるさ。僕の会社、女の子が殆どいないから」
 話す時彼は、少し猫背になって、昔を思い起すように言葉を手繰り寄せる。まるで今自分の心には無いので、どこからか持ってくるようだった。
 いつから彼の事をはっきり好きと意識するようになったのか、それは覚えていない。出会ってから一ヵ月くらいは電車の中だけの付き合いだったが、それから、たまの休みには映画に行ったり、食事をしたりするようになった。その時も、まだ好きだとは思っていなかった。


 何かきっかけがあったはずだった。それは言葉だったのか、行動だったのか、それとも偶然の出来事だったのか、どうしてもそれが思い出せなかった。
 でも、ある時期を境に、私はどんなに抱かれても物足りない程、彼の事を愛するようになった。彼の腕に抱かれ、唇を奪われ、耳元で愛していると囁かれても、私の彼に対する愛情は満足する事はなかった。


「ねえ、愛しているって意味の言葉を、別の言い方で言ってみてよ」
「英語とか、フランス語とか?」
「そうじゃなくて、言葉じゃないもので」
「何度もセックスはしたけど、それだけじゃダメなの?」
「ダメ。普通の人がしているような事じゃ、満足出来ないの。別にアブノーマルなセックスを期待してるわけじゃないのよ。もっともっと、こう心臓を捕まれるような衝撃が欲しいのよ」
 薄暗い部屋のベッドの中で、私は彼にそう訴えた事があった。その時私は彼と同棲をしていて、毎日彼の家から学校に行った。私は実家ではなく一人暮らしだったので、誰も同棲を咎める者はいなかった。勿論、実家の両親にその事は伝えなかった。
 彼はマンションに住んでいて、そこからだと都会の風景がよく見えた。室内はさっぱりとしていて、彼の性格とよく似ていた。同棲を始めてからは、彼のパンツと私のブラジャーが一緒の棚に入る事になった。
「ねえ、何か言ってよ」
 私は毎日一緒にベッドに入る度に同じ事を言った。その度、彼は困ったような顔をして、乱暴に私の頭を撫でた。私は撫でるその指に舌を絡める。その指はいつも同じ、この世でたった一つしか存在しない、至高の味だった。
 何か具体的なモノが欲しいわけではなかった。心臓が捕まれるような衝撃がどんなものなのか、想像もしていなかったのに、言葉だけが先行してどんどん過激になっていった。金槌で殴られるような衝撃、東京タワーから落ちるような落下感、台風のような強い風、言い出せばキリが無かった。
 しかし、彼はいつまで経っても、私の欲求には答えられなかった。でも、私自身その答えが何なのか分からなかったので、怒るような事は無かった。


 私と彼の関係は順調だった。心の中で強い愛情を望んでいながらも、やっていた事は普通のカップルと何ら変わり無かった。腕と腕とを絡めながら街を歩き、ラブホテルや彼の家でセックスをして、クリスマスや誕生日の時などはケーキを用意して、二人きりでささやかに祝ったりした。
 卒業論文も書き上げ、就職も決まった私は、残った学生生活の殆どを彼との生活で埋めた。彼も仕事の帰りや、休みの日などは殆ど私と一緒にいてくれた。
 長い休みがあれば二人で温泉旅行に出かけ、少しお金に余裕があった時などは韓国などにも足を向けた。
 今考えると、彼と全く同じ時を過ごした時間は大体一年半くらいだったと思う。でも、当時の私には一週間かそこらにしか感じていなかった。それほど、彼との生活は充実していた。
 だが、その幸福の時間にも終わりはあった。ある日、彼と風呂に入った時、彼は疲れたような口調でこう言った。
「‥‥別れよう」
 と。私は彼の胸に背を預ける形だったので、そう言った時の彼の顔は分からなかった。 その時、私は世界が崩壊したような絶望感に襲われた。全身に鳥肌が立ち、目眩がした。
 一体何が不満だったのか、何か彼に悪い事をしたのか、そんな事がグルグルと頭を駆け巡り、顔の顔を見た時には、既にボロボロと涙を零していた。
 そんな私の頭を彼は優しく撫でた。彼は涙を流してはいなかったが、それでも凄まじい苦痛に耐えているような顔をしていた。
「別に瑞樹に不満があったわけじゃない。ちょっと、こっちの事情があって、それで、これからは一緒にいられる時間が無くなると思うんだ」
 涙声を絞りながら、私は訊ねる。
「どんな事情なの? 私に出来る事なら、何でもやるわ」
「‥‥迷惑にかけるわけにはいかない」
「お金なの? お金なら作るわ。私、女よ。お金を作る方法なんていくらでもあるわ」  彼の胸に顔を埋め、肩に爪を立てた。彼の為なら例え風俗に行く事さえも躊躇うつもりは無かった。どんな男に裸を見られようとも、彼の為ならばやっていける自信があった。
 しかし、彼は私の肩を強く掴み、怒りをあらわにして叫んだ。
「ダメだ。そんな事、絶対にやっちゃいけない。例え誰の為であろうと、望んでもいない事をするなんて」
「何でそんな事言うの? あなたの為を思って言っているのよ。あなたの為なら、どんな事でも望んでやるわ。だから、別れようなんて言わないで」
 この言葉を言った時、私は一体どんな顔をしていたのだろう。きっと、目を真っ赤にし、鼻水でも垂らしながら言ったのだろう。それほど、私は彼と離れたくなかった。
 泣き崩れる私を強く抱き締めながら、彼は別れなければいけない理由を話した。その口調は、電車の中の時と同じ、遠くの思い出を手繰り寄せるような口調だった。
 話は単純だった。彼の両親は既に他界していて、彼は今までにずっと借金を背負いながら生きてきたという事だった。その借金を返さなくてはならなくなり、私と別れたいと言ったのだ。
 その話を聞いた時、私は正直安心した。もっと絶望的なものだと思っていたからだ。そんな理由なら、二人で働いて少しずつお金を貯めてそれで借金を返済すればいい。そうすぐに思った。しかし、その金額を聞いた時、私は驚きを隠せなかった。
「‥‥五千万円だ。月々に払わなければいけない金額は百万。しかも払い続けている間も利子がかさんでいく。例え月に百万払ったとしても、おそらく結果的には八千万近くは払わなくちゃいけない」
「‥‥」
「そうなれば、僕は毎日働かなくちゃいけなくなる。そうなったら、君と会う時間も無くなるし、例え会えたとしても今までのようにはいかなくなる」
「‥‥」
「だから、僕は君と別れたいんだ。君に迷惑はかけたくない。君はもっと別の、君の事を人生の全てだと思える人と付き合った方がいい」
 そう言った時、彼がどんな顔をしていたかは分からない。でも、声の震え方、腕から伝わる慟哭の思い、涙を圧し殺したゆっくりとした口調。それらから、彼がどんな顔をしていたかは想像がついた。
 私と離れたくない。私は腕から伝わる思いを感じ取った。本当にそう思っていたかは分からない。でも、私は彼の心がそう叫んでいると確信した。
「私、行くわよ。風俗でもアダルトビデオでも、何でもやるわ」
「だから、ダメだと言っただろう」
「何故なの? 私はどんなに他の男に抱かれようと、遊ばれようと、あなたしか思わないわ。誓うわ」
 本心だった。嘘偽りの無い、正真正銘、私の真実の気持ち。この時ほど、私は自分に正直になった時は無いと思っている。
 でも、どんな事を言っても彼の気持ちは変わらなかった。この時初めて、私は彼の本当の性格を知った。いつも私の要求に答えるだけだった彼は、本当は一度決めた事は決して曲げない人だった。要求に答える彼は、要求に答えようと一度決めて、そして決してその意志を曲げなかった。
 だから、私がどんなに懇願しても、彼は意志を曲げなかった。
「駄目だ。絶対に駄目だ」
 その時、私は裏切られたとは思わなかった。彼は最大限の優しさで接してくれた。そう思った。
 けれど、どんな事を言われようとも私は彼と離れる気は無かった。彼がダメと言うのなら、水商売にも風俗にも行かない。アダルトビデオにも出ない。別の方法を考えるまでだ。別の方法だったら、何でもよかった。
 そして行き着いたのが、あのゲームだった。


 どういう経路であのゲームの事を知ったのかは覚えていない。無我夢中で大金が手に入る方法を探している内に、いつの間にか知っていた。
 だが出るかどうかは迷った。下手をすれば死んでしまう。死んでしまっては元も子もない。他のギャンブルに手を出そうかとも思った。パチンコ、競馬、競輪。命など張らなくても一攫千金を狙う事は出来る。他にも株をやる事も不可能ではない。だが、私は株の事など分からないし、パチンコだってやった事は無い。競馬、競輪にしたって、知識がなくては勝てない。
 だが、あのゲームならば何の知識も必要無い。勇気だけだ。誰かの為には死んでもいい、と思える程の勇気だけでいい。私にはそれしかない。それなら、私は誰にも負けない自信がある。
 だがそれでも、払わなければいけない代償が大きすぎる。あまりにも大きすぎる。
 死んでもいい、と思うのは簡単だ。だが、それを本当に実行出来るかどうかは別問題だ。死んだら何もかも終わる。彼に会う事も、触れる事も、想う事さえ出来なくなる。ならば、苦しくてもこつこつ働き、彼との生活を歩むべきなのか。
 廻り続けて、終わる事の無い悩み。果てなど見えない。いや、本当は見えている。
 参加せず彼と離れるか、参加して大金を手にして、彼と共に前のように生きる。もしくは大金を手にせずゲームで死ぬか。
 決めなくてはいけない。時間は無限大ではない。のびればのびるほど借金は増える。
「‥‥」
 塗り潰すしかなかった。思いで、心を塗り潰すしか。彼の為なら死さえも恐れない、という思いで。全てを塗り潰し、そして勇気と確信を得るのだ。
 絶対に死なず、勝つ、という勇気と確信を。


「どうしたんだ? この金」
 彼は目の前に差し出された大金を見て、まずそう言った。喜びもせず、疑うような瞳で私を見つめた。彼の前に置かれた金は一千三百万あった。自分のこめかみに三回銃口を向けたので、一千三百万だった。
「手に入れたのよ。私が」
 私は体を震わせながら答えた。
「銀行強盗でもしたのか?」
「そんなのしてないわ。ギャンブルよ」
「一体、どんなギャンルをやったんだ?」
「‥‥ダイアローグ・ギルティよ」
 その名前を口にした時、私は堪らず彼に抱きついた。彼の温もりが、ひどく熱く感じられた。ゲームの光景が頭から離れなかった。
 生まれて初めて見た拳銃、そして鮮血を吐きながら絶命してゆく人の姿。それを楽しげに見つめる人々。冷静に見つめる黒いスーツ姿の男達。カチャリ、というハンマーが空を切り裂く音、発狂してゆく人の雄叫び。全てが脳裏に焼き付いて消えなかった。
 彼は啜り泣く私を強く抱き締めた。それは借金を背負う事になった事を私に伝えた時の抱擁よりも強く、そして優しかった。
「‥‥何故、あのゲームに出たんだ?」
「愛しているから」
「僕の為に命を?」
「惜しくないわ」
 はっきりと答えた。彼もやがて私と同じように啜り泣きを始め、私を抱き締めてくれた。狭い室内に、泣き声だけが響いた。
 だが、その時私の心は奇妙な充実感に満ちた。それは借金を減らす事が出来た、という喜びから来たものではなかった。心の底の方で固まっていた氷が砕けて溶けていくような、そんな充実感だった。
「‥‥」
 それが心臓を掴まれるような衝撃だった。
 普通の人々が交わす愛よりももっと深く濃い愛を、私は確かに感じた。体中のぬめりと言うぬめりが全て洗い流され、純粋な私だけが彼に抱かれていた。セックスなどでは感じられない、本当の意味での一体化。その時感じた衝撃は、とても言葉では言い尽せなかった。


 彼はもうやるな、と念を押した。今回は偶然にも勝てたものの、次は勝てるかどうか分からない。君が死んだら、僕はこの世に生きている意味が無い。まるで子守歌を唄う母親のように、彼は何度も私にそう言い聞かせた。
 だが、私は再びゲームに参加した。私はまたあれを味わいたかった。戦って勝ち、その度に彼に抱かれ、そして、心臓を掴まれる衝撃で身を打ち震わせたかった。それを思うだけで、私は自分が神にでもなったような高揚感に包まれた。だから、何度戦っても負ける気がしなかった。
 そして、二回目も勝てた。相手などは覚えていない。ただ、手にした一千二百万と帰った後の彼の痛烈なビンタと抱擁だけを覚えている。
 二回目の抱擁は、一回目よりも更に激しく私の心に染み渡った。彼の思いが腕から流れ込んでくるよう錯覚さえ覚えた。いや、錯覚などではなかった。なんて馬鹿な女だ、とか、これ以上の女はいないとか、本当にそういう思いが私の頭以外の所から入り込んでくるのを直に感じた。
 今にして思えば、麻薬のようなものだったのかもしれない。死に直面する程の緊張感、その後の解放感と彼の抱擁、それらに病み付きになってしまい抜け出せなくなっていた。自分でもそれは良くない事だと分かっていた。このままでは例え借金が無くなったとしても、快感欲しさにゲームを続けてしまうかもしれない。このゲームは、借金が消えた時点でやめるつもりだった。なのに、やめられる自信が無かった。
 それ程、あの充実感は私を支配していた。
 だが、彼は強い抱擁の後、他人のように私に冷たくあたった。彼の気持ちも分からなくはなかった。世界で一番愛している人が生死を賭けたゲームに参加しているのだ。見守るだけの彼の心は、胸が張り裂けるような不安でいっぱいだったのだろう。
 それでも、私は次のゲームに参加した。あれでなくては得られないのだ。あのゲームに勝たなければ、身が焦がれる程の抱擁を得る事が出来ないのだ。だから私は彼の制止を振り切って三回目のダイアローグ・ギルティに参加した。
 あの時の私は彼の為という使命を掲げながら、実はただそれを名目にして、単純にゲームに参加したかっただけなのかもしれない。勿論、彼がいなくてはゲームに参加する意味など無い。だがあの時の私は、彼の為という使命感と一緒に、一瞬の生の沸騰を楽しんでいた。
 ごく当たり前のように、三回目のゲームでも勝った。もう、拳銃を自分のこめかみに当てる事も、目の前で人が死ぬ事も恐くなくなっていた。全てが、胸を焼き尽くす充実感となっていた。
 三回のゲームに勝って、私が手にいれた賞金は総額三千七百万円。彼が借金の事を打ち明けてから、一週間も経っていなかった。


「‥‥ふう」
 夜風に当たりすぎたのだろうか、少し寒く感じる。下を覗けば、相変わらずテールランプの途切れる事無く続き、時間の流れというモノを意識させない。
 気がつけば手に持っていた煙草が灰になって消えていた。私は煙草を投げ捨てると、ポケットから次の煙草を探る。しかし、投げ捨てた煙草が最後の一本だった。
「‥‥」
 あの時やめておけばよかった。そう後悔している。何故、あの時やめておかなかったのだろう。何故、あの時彼の気持ちを知ろうとしなかったのだろう。
 今後悔しても手遅れだ。そんな事は分かっている。分かっているけど、後悔せずにはいられない。あの時やめていれば、真一は死なずにすんだ。


 彼は拳銃を自分のこめかみに当てて、こう言った。
「僕は、君に幸せになってほしかった」
 目は優しく微笑んでいた。
「君の幸せを望んでいたから、借金を背負う事になった時、君を突き放そうとした」
 その目からは、終わる事の無い涙があった。
「でも、君は僕から離れず、危険を犯してまで借金を返そうとしてくれた」
 彼の口から出る言葉が、私に心に永遠に消えない傷痕をつけていく。
「僕の願いは最初から一つしかなかった。それは僕ではなく、君が幸せである、という事。
君は僕の傍にいれば、いつまでも危険に身をさらそうとするだろう」
 傷痕は一つ二つと増えていき、やがては数え切れなくなる。
「だから、僕から離れる事にするよ」
 傷痕から流れだす血はいつまでも止まらない。泣いても叫んでも止まらない。まるで、
永遠に時を刻む大きな大きな砂時計のように。
「だけどね、一つだけ覚えていてほしい。君の事はこれからも、好きでいたい」
 そんな彼の最期の言葉さえも、激しい銃声と共に消えてしまう。
 いくら私の心に残ろうとも、もう地上のどこにも、その言葉は無かった。


「‥‥」
 もう言葉は無い。でも、確かにその言葉を私の心に残っている。
 だから、私は彼を裏切れない。
 私は次のゲームの参加を心に決めた。


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